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侯爵のとった行動は予想外であると同時にきわめて論理的であったことがわかる。もちろん、こういった状況で通常適用される論理ではないが。それは分業の論理である。侯爵の役割(妻を抱く)を司教が行った。そこで司教の役割は侯爵が行おうということである。 しかしこの文脈にはもう一つの規則が存在している。 性道徳的規範という規則である。司教と侯爵の妻の情事を、夫である侯爵が目撃した際に我々が期待する侯爵の反応とは、道徳的に間違ったことをした2人への攻撃または悲嘆の行動だろう。しかし侯爵はこの通常とると思われる行動をあえてとらず、別の行為にシフトした。
喜劇的効果が生まれるのはまさにそこである。互いに相容れない二つの規範が予期せぬ衝突を起こすのだ。この話を読んで我々は、状況がそれぞれは一貫した、だが互いに相容れない二つの思考基準の中に同時に存在することを感じとる。われわれは波長の違う二つの波の上に同時に置かれるわけだ。この異常な状態が続く間、出来事は一つの思考基準と関わるのではなく、二つの思考基準に同時に関わる。
巧妙なジョークの創造にも、またそれを理解する「再創造」の活動にも、ひとつの平面から他の平面へ瞬間的に飛び移るという、愉快な心のゆらぎがある。