支持、カタルシス、closed questionよりopen question、治療の関係を通じての体験、知ることと学習


支持
自由に話すことを保証する関係。いろいろ説明をしてあげて、再保証する、安心させる。
この頃の人は自分を見失いがちで、自分を確かめようとする。そこで自分を見つけ出すことに力を貸してあげると安心することになる。
それには、本人が感じ、考え、やろうとしていることを、良く聴いてみる、やろうとしている気持ちを聴いてもらうことで、Ptは自分を確かめることができる。
先生によってじぶんが支えられている、先生はわかってくれているということが、自己評価を高めることに繋がる。
精神科の患者は一般に自己評価が低くなっている。 
例外:自己愛、躁病・・・この人たちの自身は、自分と他人の関わりに基づく本当の自己評価ではない。
正しい自己評価を自分でもきちんと持てるようにしてあげるのが支持だ。
さらに具体的にいうと、支持的治療の第一は、眼前の患者さんにとって何が緊急な出来事か、いま必要なことは何だろう、そういう気持ちで患者の話に耳を傾けること。
しかし、「今必要なことは、治ることです」とPtが言う時、落とし穴がある。全面的に治療者に依存していることがありえることを忘れてはならない。
疾病利得(sick role)ー本人にとって厳しい状況で、自分が病気になった、病気は治りたいけども、病気から抜け出すことは再び厳しい状況にさらされることになりかねない。
人は意識的には症状を直したいと口にしながら、実際には抵抗があるーこのようなことを疾病利得抵抗という。
支持療法をするとき:::治療者がPtに口封じをしたり、強制をしたり、起こってしまうことがあるが、そういう場合、Ptの本当は治ろうとする気がなさそうだというsick roleによる抵抗が、気がつかない内に治療者に伝わって、治療者にそういう感情を起こさせる=逆転移


カタルシスと聞く・聴くこと
表情、態度、口ぶりにともなう情緒表出に気をつけながら、この人はなにを悩んでいるのだろう、もう一歩深く考えると、この人は何を失ったんだろう、とその人の体験をあたまの中で想定しながら聴く。失ったのは現実の大事な人なのか、あるいは自己のイメージなのか、ルーシーのケースでは工場主に対する自分の思いが実は場違いであったという、自分のプライド、愛情、そういうものを失っている。そういうことをイメージしながら聴き入る。
また、Ptが話しているときは、不安だとか症状を直して欲しいを言っているけども、心の中では症状のことだけではなく、現実の生活のことも考えている。例えば夫のこと、子供のこと、会社のこと、そういう現実生活のでの困ったことを頭に描いていたり、あるいは「心的現実」という思い込があったりする。夫から叱られた、夫の気持ちが自分から離れているというように思い込んでしまうということもあるかもしれない。あるいは幻想。どこかで素晴らしい男性に出会いたい、そういう幻想を持っているかもしれない。
そういう幻想を持っているとして、目の前の先生がどう見えているか、そういうことを想定しながら、頭の中に描きながら聞いていく。Ptは症状だけを直して欲しいと言っているように見えても、関係性ができてくればそれだけではないことがわかる。現実生活のこと、あるいは心的現実、あるいは幻想、そういう次元のことが、だんだん関係が深くなっていくと次第に明らかになっていく。


closed questionよりopen question
あいづちをうって、曖昧な話の時には、そこを聞き返す=明確化。あなた自身はどう思ったの?=直面化
このように開かれた方式で面接をしていくと、Ptは、分かってもらった、話を聞いてもらえたという気持ちになっていく。それがカタルシスを起こさせることになる。そして、Pt自身が自分について考える、いわゆる心理的内省力ができてくる。
カタルシスの効果は一時的、あるいは限定的なことが多いが、同時に内省力が生じると治療関係が望ましいものになる。


治療の関係を通じての体験
関与しながらの観察
Drのほうにも「このPtはおもしろくないな」という感情反応というのは起こってくる。Drの心に起こってきたその感情をどう活用するか、この人はなぜ私にこういう気持ちを起こさせるのかということを考えて、治療に活かすかが大切。つまり、PtによってDrの心に投げ込まれたものへの治療者の反応=逆転移、それを患者理解にやくだてる。
投影同一化:不安が非常に強いとき、自分の不安を自身では受け止めかねて、相手が自分を誤解している、相手が自分を理解していない、相手が自分をひどく思っているとかいうふうに、自分の不満をあいてのせいにしてしまう。 それで、相手は自分に対してきっとそのように思っているに違いないと、自分の防衛したものにまた反応することを言う。
患者は「治療者に嫌われている」
治療者は「患者さんから恨まれている」そういう投影同一化が双方で同時に進行する。
そういう時に治療者がそのことに気づき、「自分が患者さんに動かされているんだ、なぜ動かされるのだろう、この人は一体何を求めているのか。私にこの場でこういう感情を起こさせて、この人は何を伝えたいのか」と考えてみる必要がある。
それで、例えば、Ptが過去に親に受け入れられずに辛かったり悲しかったりした時の気持ちと同じ思いと自分にぶつけていることに思い至ったなら、治療者は「いま、何か悲しい気持ちがしているのでしょうか」と消化して、少しかみ砕いて返してあげる。Ptはそれを飲み込む。
親に抱いていた思いと同じ思いを治療者に抱いたにも関わらず、治療者との間で、過去とはちがった感情体験をした場合、ここが面白いが、治療の関係を通じて、「いい体験をした」ということになると、いままで親に対してひどくネガティブな気持ちをもっていたPtが、親のよいところの記憶をたぐり寄せるようなことが起きてくる。新しい体験が、過去の類似の記憶をたぐり寄せる、そのようなことが起きてくる。「現在の治療関係が過去の記憶を書き換える」


知ることと学習
ルーシーのケースではフロイトは「工場主に実らぬ思いをかけていたのではないか」と介入した。これはDrPt関係がきちんとできていないと難しい。関係ができた上で正しい介入ができると、自分のこころの中に密かに、あるいは無意識に思っていたことがはっきりしてきて、はっきりすることで自分の気持ちがそこで落ち着く。
真実をしる欲求が最高の欲求だ ビオン、フロイト 心は真実に触れると成長する 
しかし、知的洞察だけでは病気は治らない。
「ああそうだったのか」=aha experienceが伴わないと治らない。自分の自己像 空間軸、時間軸自己像と照合する。そして学習する。これが自分を成長させることになる。学習に基づいて行動が変化していく。認知療法


例えば、ボーダーラインのPtではPtは治療者に対して不満をもってこき下ろしたりするときには、その人が大変おおくの期待をしている、自分の自己愛的な気持ちでフラストレーションを投影しているんだなというふうに考えておくとよい。この患者さんは心の中にどんなファンタジーを持っているのだろう、そのファンタジーをこの人は潰されているんだなと、そんなことを考えて聞けばよい。また一度に治るわけにはいかないので、時間はかかることを話し、患者さんが自己観察をするところを見つけだして評価してあげる。
「自分は腹を立てやすいですから」などと言ったりしたら
「ああ、自分のことをそのように見ていらっしゃるのね」
「ここでもそういったことは気になりますか」
「相手に対して、あなたがいつもそのように一方では気を遣っていらっしゃるのね」と、そのような、本人は気がついていないけれども、求めている部分の特徴というものを話してあげる。
自分は気がついていないのに、相手が自分のことについてより気づいてくれることがわかると、PtはDrに信頼感を向けてくれる。